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Ша­ан-Ка­я — 8. ルート「ヒュペルボレア」(Яре­че­вс­кий Ма­ру­нич)

クリミアの山々には、数々のアルピニズムルートが存在するimg-0.jpeg

ルートはシャアンカヤの南壁右側を進み、上部で左へ向かい、中央へと至る。目印となるのは巨大な張り出した内角で、下の道からでも視認できる。この角度から垂直に線を引くと、ルートの起点に辿り着く。

このルートは1980年代にЧаплин­скийとСамо­дедが開始したが、150m進んだところで断念している(この地点からは振り子状に移動し、Гри­щен­коのルートへ合流可能)。ルートを完成させたのは、Вита­лий Яре­чев­ский(オデッサ)と Вла­ди­мир Ма­ру­нич(ニコラエフ)だ。2000年、既に踏破済みの区間を再び登攀しつつステーションを強化。2001年11月、100mに及ぶオーバーハング区間をクリアし、ルートを完成させた。このオーバーハング区間が、キーポイントと言えるだろう。ルートの総距離は300m、そのうちオーバーハングする箇所が200m以上、時には100°を超える。難易度はVI+、ИТО A3(それ以上?)。ИТОの区間の一部は、Вита­лий Яре­чев­скийがフリークライミングで登っており、その難易度はF 6c–7a相当と評価している。

2度目の登攀は、アレクサンドル Ла­ври­нен­ко(オデッサ)とアレクサンドル Мак­си­мен­я(ミンスク)によるもので、2002年2月のことだ。

その2月のある晴れた日、私とサーシャ Мак­си­мен­яはシャアンカヤの下にやって来た。私のクリミア滞在は残りわずかで、何か特別なルートを登りたいと考えていた。シャアンカヤには、その様なルートが2つ存在する。

  • Шел­ха­ко­ва — По­по­ва、2001年
  • ヒュペルボレア

1つ目のルートについては情報が乏しく、2つ目のルートを選択した。冬とはいえ暖かい日が続いていたが、日の短さは戦略を考える上で重要だった。できる限りロープを張り、後半は一気に登る作戦だ。キーポイントからは事実上リターンが不可能となるため、緊張感も増す。1m登るごとに、左に0.5mほど移動させられ、しかもオーバーハングしているのだ…。

2月9日9:00にアタックを開始(気温が上がるのを待った)。スタート直後から難易度の高いクライミングが待ち受けており、15mほどで1本のボルトがあり、小型のカムが使える。

その後、ИТОでの登攀となるが、理論的にはフリーでの登攀も可能だ。

  • 5mほどの狭間が続く。ややオーバーハングしており、2本のボルトがある。
  • 右へトラバースし、5mほどのコーナーへ(スカイフック、ピトンを使用)。
  • コーナーを5mほど登り、ステーションへ(ボルト + ナッツ)。

出典

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